兄が経営していた町工場を閉鎖して整理していたら、1951年に親父が進駐軍にあてて書いた手紙が出てきた。町工場は兄が親父から引き継いだものだった。内容は、進駐軍に納品した品物の納期が遅れたことについて、進駐軍が罰金を科そうとしたことについて、納期の遅れはそちら側のミスによって発生したのであり、罰則を免除してもらいたいといっている。朝鮮動乱は1950年におきており、日本の戦後復興は朝鮮動乱の特需によるところが大きい。そうした背景を考えて読むと、なかなか面白い。今の若い人にはわからないかもしれないが、薄いタイプ用紙2枚の間にカーボン紙を挟んで、タイプを打ち、オリジナルとコピーを同時につくり、一方を控えとする。出てきたのは控えであるが、署名を見ると確かに親父の字だ。親父は職人だから、英語で手紙を書くのは大変だったろう。タイプライターは誰かから借りたのだろう。わたくしはその時1歳であり、衛生状態が悪かったので、赤痢になったりして手がかかったし、私を生んだ母親も病弱で入院したりして、家庭的にも大変だったはずである。その中で、まだ若かった町工場の経営者が、必死に進駐軍とわたり合っている様子がまず面白い。こうした生き方をしていた中小企業の経営者の中から、大企業へと発展していく企業が生まれて、高度成長期を支えることになったのだろう。

もうひとつ面白いのは、作った品物と送り先である。製品は横須賀の基地から、沖縄へ送られている。多分、朝鮮動乱のために沖縄に基地を拡充する必要になり、将校宿舎のようなものを建造する必要があり、その家具調度を日本で調達したのだと思う。調達の公示の時の資料だと思われるが、何を長たちしたのかがわかる。調達したのは各種の皿やスプーンであり、それも、紅茶用とかデザート用とか結構贅沢な感じがする。朝鮮動乱における国連軍の後方基地の雰囲気がわかる。

今回、ブログに挙げたのは親父が書いた手紙のコピーとその訳文であるが、契約時に取り交わした資料や送り状のようなものもあるので、徐々にブログに挙げていきたい。こうした資料は、歴史的資料としての価値があるのかもしれない。わたくしが死ねばたぶんこうした資料はどこかに失われてしまうだろう。興味があって資料として保管していただける方があればお譲りしたい。

また、翻訳してて、HQ. J.L.CやMTSなどの略号の意味が分かりません。ご存知の方がいらしたら教えてください。