演歌の歌詞には意味の分からないものがある。メロディーとともに言葉が持つ雰囲気を自分なりに感じ取って、何となく共感できればそれで充分というのが演歌だから、歌詞の意味などどうでも良いだろうと言われれば、それもそうなのだが、気になってしまうこともある。気になるということはその歌が好きなのだろう。1962年に三橋美智也が歌った「星屑の町」は、子供のころから好きで、今でも時々口ずさんでみるが、いまだに、その意味が理解できない。

星屑の町
       作詞:東条寿三郎
       作詞:安部芳明

両手を回して 帰ろ 揺れながら
涙の中を たったひとりで
やさしかった 夢にはぐれず
瞼を閉じて 帰ろ
まだ遠い 赤いともしび

指笛ふいて 帰ろ 揺れながら
星屑分けて 町を離れて
忘れない 花のかずかず
瞼を閉じて 帰ろ
思い出の 道をひとすじ

両手を回して 帰ろ 揺れながら
涙の中を たったひとりで

 最初の言葉から、まったく意味が解らない。
 両手を回すとはどういう動作なのか。手をぐるぐる回す動作ですぐ思いつくのは、野球の審判がホームランの時に手をぐるぐるまわす動作だ。これは片手だ、体操でもない限り、両手をぐるぐる回すことはしないだろう。しかも、両手をぐるぐる回して帰るのだ、私は、両手をぐるぐる回して歩いている人を見たことがない。両手を回すから揺れるのか。揺れるために両手を回すのか。私と同じような疑問を持った人がいて、ネット上にもいくつか質問とそれに対する意見というか、応えが見つかる。しかし、これらはどうにも納得のいくものではない。
一つは、子供の「汽車ポッポ」のように、蒸気機関車の動輪の動作をまねて、肘をまげて、シュシュポッポと両手を動かす動作で、汽車に揺られて帰るという意味だと理解するhttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/8366732.html。もう一つ、飲み屋から帰る場面で、昔は飲み屋が狭かったから、客同士お互い身を縮めて飲んでいて、飲み屋から出た時に伸びをして手を回す動作する。まだ酔っているから体が揺れるのだという解釈があったhttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1372953398。「汽車ポッポ」説は、作詞した東条寿三郎がそのように言っていたということなのだが、その真偽は確かめようがない。たとえそれが事実であったとしても、この歌の持つ情緒に子供の「汽車ポッポ」は似つかわしくない。飲み屋の方だが、そんなに込み合った人気のある店で飲んだのか。こういう場合、飲むのは場末のさびれた居酒屋だろう。
 「やさしかった夢に はぐれず」というのもわからない。「やさしかった」と過去形になっているだから、それはもはや「やさしい夢」ではない。つまり、もうその夢には「はぐれて」いるのだ。現実を無視して瞳をとじれば、はぐれていないと思えるということなのか。そこまで、酔っているとすれば、「赤いともしび」が何かもわからなくなる。通常、「ともしび」は「谷間のともしび」の様に我が家であるが、酔っぱらっていれば、「赤いともしび」は赤ちょうちん、飲み屋のイメージになる。「汽車ポッポ」説に従えば、指笛を吹くのは、汽笛の真似だろう。そうすると汽車が汽笛を鳴らして、町を出発するのだが、汽車が星屑を分けていることになる。この星屑は実際の星で、車窓から見上げると、星が動いていくように見えるということなのだろうが、実際、どう考えても「星を分ける」というイメージで表現できるほど汽車は速くない。また、もしそうならば、思い出の道は線路になってしまう。
 
どこを取ってもわからない歌なのだが、この歌の個々の言葉は、1961年に小林旭が歌った北帰行と重なっている。

北帰行
   作詞・作曲 宇田博

   窓は夜露に濡れて
   都すでに遠のく
   北へ帰る旅人ひとり 
   涙流れてやます

   夢はむなしく消えて
   今日も闇をさすろう
   遠き思いはかなき希望
   恩愛我を去りぬ

   今は黙してゆかん
   なにをまた語るべき
   さらば祖国愛しき人よ
   明日はいずこの町か
   明日はいずこの町か

夜、町を去るという場面に共通性があって、「帰る」、「涙」、「夢」、「ひとり」など、共通の情緒的な単語が出てくる。

正確に言えば、この歌詞は宇田博が作ったものではない。宇田が作ったのは、旧制旅順高等学校愛唱歌として歌われた「北帰行」であり、制作年はおそらく1941年である。
諸説あるが、宇田が作詞した歌詞は以下のとおりである。また、小林旭の歌った「北帰行」とは、一部メロディーが違う

1 窓は夜露に濡れて
  都すでに遠のく
  北へ帰る旅人一人
  涙流れてやまず
2 建大 一高 旅高
  追われ闇を旅ゆく
  汲めど酔わぬ恨みの苦杯
  嗟嘆(さたん)干すに由なし
3 富も名誉も恋も
  遠きあくがれの日ぞ
  淡きのぞみ はかなき心
  恩愛我を去りぬ
4 我が身容(い)るるに狭き
  国を去らむとすれば
  せめて名残りの花の小枝(さえだ)
  尽きぬ未練の色か
5 今は黙して行かむ
  何をまた語るべき
  さらば祖国 わがふるさとよ
  明日は異郷の旅路
  明日は異郷の旅路

小林旭の歌った「北帰行」は、映画「渡り鳥シリーズ」の、「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」の主題歌となっている。この映画は、1962年の正月に封切られている。歌はそれ以前にヒットしていて、小林旭のレコードが発売されたのはその前年である。それ以前にこの歌は、当時まだあった歌声喫茶などで歌われており、作者不詳の歌として一部に人気があった。宇田博が作者として名乗り出るのは歌が広まった後のことである。歌声喫茶で、歌われていくうちに、歌詞やメロディーの一部が変形していくつかのバージョンがあった。小林旭の「北帰行」は、宇田の了承を得て歌詞とメロディーを変形している。

私は、北帰行の歌詞が、東条寿三郎に影響を与えて、星屑の町の歌詞が生まれたのだろうと思っている。「両手を回す」は、「帰る」につながる言葉であって、大事なのは「帰る」で、「両手を回す」に大した意味はないのだろう。私は、今まで来た道を反対に戻るのだから、振りむかなければならないから、当然両手は水平に回るだろうと思っている。

東条寿三郎は「帰る」歌として、星屑の町を書いた。しかし、北帰行の意味は「北へ帰る」ではない。北帰行とは、ハクチョウなど、冬に日本に来る渡り鳥が、春が来てシベリアなど北へ渡っていく行動のことだ。だから、北帰行が渡り鳥シリーズの映画の主題歌として使われた。映画では、小林旭演じる伸次は、親友の浩一の遺骨を抱えて浩一の故郷である函館に行く。函館は東京や横浜から見れば確かに北にあるが、伸次の故郷ではない。渡り鳥である伸二は北(函館)に帰ったのではない。伸次ぐが函館に渡ったのも、函館から船に乗って帰るのも渡り鳥の習性である。
小林旭の渡り鳥シリーズは、西部劇の映画シェーンを土台にしている。ジョーイ少年の”Come back Shane” の声に振り返らず、馬に乗って荒野(墓地?)に向かうシェーンの後ろ姿に、「遥かなる山の呼び声」の音楽が重なる、あの有名なラストシーンと、その前の決闘の場面の間に、両親とともに暮らす家に一緒の帰ろうと言うジョーイ少年が、何故一緒に帰らないのかをシェーンに問う場面がある。残念ながら、私の英語力では、この場面でのシェーンのセリフを完全に聞き取れない。
     My life is what is, Joy,
can’t it come on
I tried, but it not worked for me
私には、このように聞こえる。
「俺の生き方は、ジョーイ。
      そうできないのさ
      やってみたけれど、ダメだった。

ここは、この映画のテーマにかかわるところだから、誰かにきちんと聞き取ってもらいたいのだが、多分、流れ者としての生き方は変えられなかったという、あきらめのようなものが、この部分に秘められているのだと思う。つまり、渡り鳥と同じ習性なのだ。

では、宇田博が作った、旅順高等学校愛唱歌としての「北帰行」には、どんな思いが込められているのか。確かに、この歌が詠っている場面は、宇田自身が旅順高等学校から退学処分を受けて、奉天に帰る場面である。その意味では、自らの境遇に対する悲哀も感じる。しかし、歌詞の2番、4番を読むと、この歌が、自らの境遇を嘆く歌ではないということもわかる。宇田の退学処分の理由は、校則違反である。宇田はその前にも満州の建国大学で退学処分になっている。退学マニアのようなところがあって、学校当局に反発して、意識的に校則違反をしているようなところがある。当時の高等学校の生徒は知的エリートである。宇田はその後、一高、東大を経て、TBSに就職し常務にまでなっている。宇田は府立4中の出身である。府立4中(現在の富山高校)は、かつてはエリート高校として知られていた。いわゆる都立ナンバースクールの中でも、4中は自由な校風で知られ、多彩な人物を輩出している。例えば、東条英樹も羽仁五郎もその卒業生であり、同じ歌謡曲の世界では、独自の作風で人気のあった浜口庫之助も府立4中の出身である。おそらく、宇田の校則違反は、一般にイメージされるようなバンカラな旧制高校生の無頼というよりも、東京出身の学生が持っていた自由な雰囲気と、満州国内の学校の校風が合わなかったためなのであろう。つまり、この歌には、春が来て渡り鳥が旅立つ解放感のようなものも秘められている。

さて、これら3つの歌を比較すると、表面上、似たような歌ではあっても、描こうとしている内容が違っていることがわかる。
宇田が作った、旧制旅順高等学校愛唱歌としての「北帰行」はエリートの歌であり、エリートの若者の自己主張の歌である。小林旭が詠った「北帰行」は社会に受け入れられない流れ者、渡り鳥のうたであり、無頼の浪漫・悲嘆の歌である。「星屑の町」が持っている挫折感は、知的エリートとしての挫折でも、はぐれ物の悲嘆でもない。もっと一般的な庶民、おそらくはささやかな夢を抱いて都会で働いている地方出身者の挫折であって、その挫折に対する共感である。だから、民謡歌手の三橋美智也が歌ったのである。庶民が小さな挫折を繰り返すのは当たり前のことであり、それを飲み屋で慰めあったりしても、非難するべき理由はない。むしろ必要なことである。私がこの歌を愛する理由はそこにある。