すでに本ブログで紹介したように、12月1日に、日本水産学会が「水産政策の改革」に対する意見書を学会長名で発表した(http://www.jsfs.jp/)。同学会は、12月4日に、同意見書の一部を訂正した。訂正後の意見書と訂正理由は、添付のPDFの通りである。

定置網が漁業法の中では、漁業権漁業に区分されているにもかかわらず、知事許可漁業と書いてしまったという誤りなのだが、この部分は例示で、これを正しく訂正しても、認可してる主体が異なる漁業が同一の魚種を漁獲対象とするという、文章の主旨は変わらない。文意が理解できるので、例示のところを読み飛ばしてしまったという、うっかりミスなのだが、専門家としては、あまりに初期的なミスではある。すぐに会員からの指摘があったので、速やかに訂正し、訂正理由も明確に述べている。どこぞの「新聞」ではないし、どこかの国のマスコミではないのだから、誤りがあれば、認めて訂正するのは当然で、学としては当たり前のことだ。

これについて、少し考えてみた。今回は、訂正しても主旨が変わらない。だから、簡単に修正できた。部分的な誤りが、全体の論旨に大きくかかわっていた場合はどうなるのだろうか。これは結構大変だ。今回の場合、発表直後にミスの指摘があった。多くの学会員がいるのだから、当然、ミスに気が付く人が居る。

どこぞの「新聞」の話にもどると、大新聞社なのだから、当然、誰かミスに気づくだろう。少なくとも不適切な表現があるという指摘があったはずである。そのようなミスを長く放置した理由は、その部分が全体の主張にかかわることを知っていたからではないか。彼らは文章の専門家なのだから、そんなことは簡単にわかる。訂正したらその記事に全く意味がなくなる。つまり、記事を撤回することと同じである。だから訂正しなかった。

そうだとしたら、もっと罪が重い。意図的に誤りを糊塗したことになるからだ。今回の場合、仮に主旨を変えなくてはならなかったとしても、日本水産学会は訂正したと思う。そうでなければならない。それが学の矜持である。どのような背景があるにせよ、自らの主張を変えなければならないという理由で、誤りを認めないのがメディア人の矜持であるとするならば、メディア人と学会人は、ほとんど違う生き物のような気がする。

桝君、諸国さん、君たちはこれを読むだろうか。