例によって、私は内容を書いていません。著者に呼びかけて書いてもらっただけです。それでも、著者が呼びかけの趣旨をよく理解して、丁寧に書いてくれたので、私の言いたかったことはある程度尽くせたと思っています。買わなくてもよいので、本屋さんで手に取ってみてください。

以下は私が書いた緒言の一部です。

 

原発事故直後から現在に至るまで、マスコミを中心に社会は、わかりやすい「科学的」な解説を求めてきたように思います。科学の基盤になっているのは経験です。あの規模での原発事故は我が国が初めて経験したものです。化学的にも、生物学的にも、生態学的にも初めて経験する多くのわからないものを含んでいました。わからないものはわかりやすく説明しようがない。私たちは、多くの不確実性・わからないことを前提に判断することを迫られたと言えましょう。もちろん、今でもわからないことは多く、不確実性がなくなったわけではありません。その一方で、私たちは、リスクを含む不確実性の中で判断する習慣を身につけつつあるように思います。震災直後のワーキンググループとしての作業の中で、水産学としての情報を取りまとめてそれを要約して提言するという作業を私にためらわせたものは、科学者にわかりやすく科学的な情報を取りまとめてもらいたいという社会の要望でした。それはあたかも、不安に怯えながらも下した判断に、「科学」という御札を貼って安心したいという思いのように私には思えました。そのような社会心理状態の中では、不確実性データーは恣意的に解釈されて、わかりやすい「結論」に単純化されてしまいます。そうした単純化を避けるために、時空間的なデーターの変動を記述したり、確率的な表現を用いると、「わかりにくい解説」として、社会はともかくもマスコミは拒否してしまいます。とどのつまり、「結論」が、自らの願望を支持するか否かで、データーを提供している科学者を自分の願望に照らしてポジティブあるいはネガティブに評価します。そんな状態で、情報を提供しても、その情報は有効に使われず、時には悪用されることさえありえます。そのようなことが起きれば、情報提供していただいた科学者にも迷惑をかけかねません。私のためらいはそこにありました。